Other voices 12 . 吉田 勝己
魂の会話
中国・遼寧省の大連に、2009年12月から1年間滞在した時のことです。
大連に「二七広場」(アールチーグアンチャン、ニイナナ広場)という場所があります。現在はモダンなショッピングモールになっているようですが、当時はアパレル関連の屋台のような小さなお店が200以上ひしめき合っていました。生地、仕立て、ボタン、ファスナーなど、衣服なら何でも作ってもらえて、何でも買える場所でした。私は会社に勤めているころから、着る物、特にワイシャツにこだわりがあり、香港、バンコックに出張するたびに何着も作ってもらっていたので、二七広場でいろいろ注文するのが楽しくて、滞在の後半はほぼ毎日バスで通っていました。
最初にシャツの仕立てを頼んだのは、10平方メートルほどの狭い店でした。サンプルのワイシャツを持ち込み、これと同じデザインで作ってくれと、生地を選んで注文します。超破格値ですので、縫製の質は覚悟の上でした。指定の日が来て、わくわくしながら店に取りに行くと、私が持ち込んだサンプルとの違いがはっきりわかる仕上がりでした。日本円にして約1200円という値段からして仕方ないと思いながらも、こちらの意思は伝えなければなりません。中国語はほとんど話せなかったので、身ぶり手ぶりです。
私は、シャツを指さしながら首を横に振ります。「サンプルと違う」という意味です。60歳くらいに見える男性の店主は、「どこが?」と中国語できいてきます。違っているところを何か所か指さすと、相手は中国語でまくし立てました。わかる単語から推測すると、「着たら同じだよ」と言っているようです。
「不、不、不(no,no,no)」
私も必死に食い下がります。何度も手ぶりで説明し、「これは買い取るから、こことここを直して、もう1枚作って」と頼みます。店にとって損はありません。サンプル通りにできるまで、同じことを数回繰り返しました。

これをきっかけに、大連での1年間にシャツ20枚以上、コート3着、ジャケット2着、スーツ5着、妻のドレスを10着ほど作りました。最初のシャツの店のようにテイラーが一緒になったところもありますが、生地だけ買って、別のお店で作ってもらうこともできます。まず生地屋に手書きのデザインを持ち込み、身体のサイズに合わせて必要な生地の量を計算してもらいます。生地を決めるまでに数店以上回ります。ボタンやファスナーを別に買ってテーラーに持ち込むこともあります。一度行った店を見つけるのが難しいほど迷路のようになっている広場で、いろいろな店をめぐり歩きました。お店のおじさんたち、おばさんたちとのやり取りはストレスもありましたが、実に楽しい時間でした。顔なじみになってくると、お店のおばさんがボタン屋に一緒に行って交渉してくれたり、他のお店の生地まで一緒に探しに行ってくれたりで、私の大連生活はここにありという感じでした。
売り手買い手の相互利益を生むための交渉でしたが、言葉だけではないやり取りの中で私は、中国人の心を感じました。「魂の会話」、つまり心の会話ができたと感じています。

以前にも書きましたが、大連に滞在したのは中国社会を自分の目で見るのが目的で、語学研修ではありませんでした。ただ、長期滞在ビザを取得するには学生ビザが一番簡単でしたので、中国でも有名な大連外国語大学の語学学校セクションに入学を申請し、学生ビザを取得して渡中しました。あまりの古さと暗い薄汚れた寮にはとても入れず、アパートを借りたので、学校が終わってから翌日学校に行くまでの生活は、単独行動のかなりチャレンジングな時間でした。もちろん学校の授業も先生が言っていることが全く理解できず、ただただ辛抱強く座っているだけでした。
二七広場だけでなく、普段の買い物も顔の表情とか手ぶりで何とかなりました。スーパーマーケットに行けば駆け引きもいらないのですが、当時の中国のスーパーのレジは金額表示が客側からは見えず、レジの人が言う値段を聞き取る必要がありました。中国もまだ現金の時代でした。私の場合は大きな額の紙幣を渡し、店員を信用してお釣りをもらうしか方法がありませんでした。頻繁に行った近所のスーパーはとても大きく、店員も各売り場にたくさん配置されていました。卵売り場に行くと、店員がわざわざ私の前まで来て日付の新しい卵を選んで渡してくれました。必ず日付をチェックする私を見ていたのだと思います。会話はなく、卵パックの日付を指さしながら卵を手渡してくれるおばさんのささやかなSmileと、それに対する私の簡単なお辞儀とSmileだけ。「好,谢谢你」(ハオ、シェシェニ)くらいは言ったと思いますが。
日本人は本来、言葉で会話せず、相手の表情で言いたいことを汲(く)むという習慣があります。でも、その文化のない民族と話すと、自分はその文化に馴染まないと判断してしまうのか、魂の会話をつい忘れてしまうように思います。
正しい言葉を使っても、文章の場合は相手に意図が通じないことが往々にしてあります。メールでのコミュニケーションで誤解が生まれやすいのは、そのためでしょう。おしゃべりや講演など、目の前にいる人たちに話す場合でも、やはり魂が入っていないと真意が伝わりにくいですよね。言語が完璧でなくとも、魂がこもっていれば伝わることが多いのではないでしょうか。