From a distance 2. 橋本 弘道

遅くても 驚きはなくても
日曜日の午後6時前後という時間帯が嫌いだった時期があります。
「サザエさん症候群」というわけではありません。翌日の月曜日からの仕事のことを考えて、日曜日の夕方になると憂鬱になるのが「サザエさん症候群」です。私の場合は翌日からの仕事のことではなく、その時刻の仕事のために気が滅入っていました。
20代の後半の3年間、新聞社の社会部記者として警視庁を担当しました。警視庁が捜査している事件の進展によっては、休日であっても捜査員の自宅に行かなければならないことがありました。相手が自宅にいる可能性が高い日曜日の夕方は、むしろ書き入れ時なのです。
午後5時前に自宅を出ます。目立たないように少し離れた場所で車を降り、住宅街を歩いて捜査員の自宅に向かいます。冬は真っ暗、夏なら薄暗くなりつつある時間帯です。途中の住宅の窓からは、一緒に風呂に入る父親と子どものはしゃぐ声が漏れてきます。風呂の後は、おそらく家族で休日の夕食をとるのでしょう。「なぜ、自分はこんなことをやっているんだ」。そんな思いがこみ上げ、情けなくなってきます。
親しい捜査員は、日曜の夕方に玄関のチャイムを押してもたいていの場合は家に上げてくれて、ビールやおつまみを出してくれました。こちらが情けない思いを味わっている以上に、捜査員の家族は休日の夕方に押しかけてきた記者に憤慨していたことでしょう。迷惑をかけてきたことを改めてお詫びするしかありません。
警視庁担当を外れても、大きな事件の取材チームに入るとやはり休日の夕方に関係者の自宅を訪問しなければならないことがあります。初対面の相手が多く、自宅に上げてくれることは、まずありません。「話すことはない」とけんもほろろに追い返されるのがほとんどで、玄関先で応対してくれるのは1割ぐらいでしょうか。
ただ、記者はその1割にかけて取材を続けなければなりません。重要な情報を入手したとして、その情報の真偽を確かめるために、暦の上の休日でも取材を休むわけにはいきません。そこがSNSでの発信と決定的に違うところです。
取材先から驚くような話を聞いて、これが記事になったら衝撃が走るだろうと思ったことは何度もあります。しかし、いろいろなところに取材を重ねているうちに、衝撃の度合いは小さくなっていくのが普通です。真偽があやふやで結局記事にできなかったことも少なくありません。
SNSに比べて新聞やテレビなどのメディアは、情報を発信するスピードは各段に遅く、内容の衝撃度は弱まっています。若い世代が物足りないと感じるのもやむを得ないかもしれません。
それでも取材をやめるわけにはいきません。家族の声が聞こえる休日の夕方の路地を歩いたり、玄関先で追い返されたりしながら取材を尽くす。遅くても、インパクトや驚きはなくても、そうして書いた記事が、行く道を少しだけ歩きやすくしてくれると信じているからです。