写真を始めたころ~写真が好きな人へ 横山 聡

42年前のこと。新聞社に入社して写真部に配属され、すぐに事件・事故の現場や後楽園球場での巨人戦などの取材に出ることができました。それまで新人は、半年間は内勤(暗室作業)というのが常でしたから、写真部としては一大方向転換でした。
写真を撮った経験がなくはないにしても、三脚の使い方も知らない素人が、会社の腕章を巻いて現場に行くというのは、毎日がドキドキわくわく。一方で、ピンボケ、露出オーバー、アンダーなど不安要素は盛りだくさん。「うまく撮れているだろうか」という不安とのせめぎあいでした。
「失敗」が前提
フイルムでの撮影は、「失敗している」というのが大前提です。だからこそ、もう1カット、露出を変えてもう1枚と、何度もシャッターを切ります。また、紙面のどの面で掲載されるかわからないので、絵柄を変えるために、「ロング、アップは撮ったか?」「他に撮りっぱぐれたものはないか?」と考えながら行動しなければなりません。被写体の動線も予測しないと不測の事態に対応できません。
デジタルでは、少なくとも「撮影上の失敗」はかなり減ります。その場で絵柄をすぐに確認できるからです。しかし、「ちゃんと写っている」に安心してカット数が減り、どれも似たような写真になってしまうことがあります。安心してしまうと、それ以上を求めなくなるからかもしれません。
嘆きの壁
暗室でのプリント作業となると、当時の私には全く未知の世界。寿司屋に似た酢酸のにおいがする暗い部屋で、引き伸ばし機に白黒のネガフイルムをセット。光を印画紙に当て、現像液に入れて浮かび上がってきた映像を、停止・定着液に入れ、水洗という一連の作業を繰り返します。
実は、現場取材もさることながら、今でも心に残っているのは暗室です。
作業をしながら、どうやって撮ったのか、現場での動き方、被写体とのやり取りなど取材のイロハや工夫を先輩諸氏から聞き出していました。暗室の壁は、彼らの「愚痴や嘆きの壁」とも私たち新人は言っていました。実に人間臭い空間でした。
今は個人で作業が全て完結し、暗室という「特殊な」空間は消えて久しく、大学写真学科では「古典技能」と聞き及びます。
手作業
入社当時、欧米の新聞社にはカメラマンの他に「ダークマン」という職種がありました。フイルム現像・プリントを専門に行う技術集団です。今、マウス片手にプリントを仕上げる時、彼らの「手作業」を思い出します。陶芸家がろくろを回すように、丹念に一つ一つ。あるいは、料理人のようにてきぱきと作業していました。
生成AIの登場で、便利さと引き換えに、私たちは大切なものを失いつつあるのかもしれません。写真は、撮影からプリントまで、ある意味「手作業」「手仕事」のはずです。だからこそ、人それぞれ「焼き」も「色合い」も違い、深いのです。その深さは、AIの便利さに取って代わられる代物ではないはずです。これからも写真を楽しみましょう。