Other voices 10. 吉田 勝己

Other voices 10. 吉田 勝己

大連に暮らしてみれば 

 勤めていた会社を退職した直後の2009年12月から1年間、中国・遼寧省の大連に滞在しました。
 反日運動の報道について「一部の地域の運動であって、中国人が皆そうだと信じない方がいい」と中国人の友人から指摘されたことがありました。英国滞在中に現地のテレビニュースで、日本のタクシーにはカラオケ装置がついていて客は乗車中にカラオケを楽しめる、と報道していましたが、事実はごく一部のタクシーのことでした。メディアが伝える姿ではない中国を自分の目で確かめたいというのが、大連に出向いた理由でした。
 企業の1T部門に在職しているときは、中国市場は規制のため大変手間がかかるという印象でした。ただ確信していたのは、今後何をしていようと、どこに居ようと、中国を避けることはできないということでした。中国語を学びながら中国語の利便性と深さをつくづく感じました。

 大連に住んで数か月が過ぎた頃でしょうか、中国語とその英訳が載っているテニススクールの広告を見て驚いたことがありました。学校、仕事で30数年間触れてきた英語よりも、半年しか学んでいない中国語に目が引きつけられたのです。中国語は英語の半分のスペースに書かれていました。当然、私の中国語の力では詳しくは分からず、英語の訳を読むしかありませんでしたが、一瞬にして把握できる画像認識的なプロセスによって中国語に目が行ったような気がします。
 考えてみれば、日本語もひらがな、カタカナだけでは読みにくく、漢字を使うことによってかなり理解度が早まります。日本人にとっては、この漢字の画像認識が大変に役立ちます。英語の単語は26のアルファベットを並べ替えただけのものですから、漢字よりもう少し文字に集中しないと分かりづらいですよね。中国語は一般的に主語・動詞といった語順で、大まかな部分では英語に近いといわれます。ただ、多くの細かい表現が日本語そのままの語順であることに大変驚きました。例えば、「私が大連に住んだ時」を英語で言うとWhen Iから始まりますが、中国語では「我(I)住(Live)在大连(in Dalian)的时候(When)」の語順になります。

大連滞在中の筆者

 もうひとつ感じるのは、言葉の微妙な意味の違いによる使い分けです。私の当時の中国語の知識では正しい解釈をしていたか疑問ですが、たとえば「理解」「了解」「明白」「知道」は、大まかに言えばいずれも日本語の「わかる」に近い意味です。ただ、それぞれ微妙な違いがあり、異なるがゆえに存在するわけです。同類語の使い分けは日本語でも同じようにありますが、漢語は微妙な深い表現が可能で、哲学を論じるには適しているように思います。

 中国の人々は、物質主義を中心とした文明の中で、身内、友人との密接なつながりを保ちながら、個々の自己の確立がしっかりしているように思います。社会主義の下ですが、個人個人がそれぞれに資本主義(Capitalism)を背負っていないと生活できない。欧米の個人主義と異なる点は、欧米では個々が存在してチーム、コミュニティーが存在しますが、中国ではコミュニティーの中で自分の生活を守る個々が存在するといった感じでしょうか。表向きの「おもてなし」はなく、対応も丁寧とは言い難い。生きるために常に戦っているようですが、私はハートのある民族と感じました。
 一般的に大連は親日都市と言われているからか、滞在中に差別的な扱いを受けたことはありませんでした。心情的には日本人、またはアジア人と共通するものが多いと感じています。