Other voices 11. 吉田 勝己

ウィンブルドンの幸運
すでに書いたように、私の学士、博士課程は、幸運にも英国の国費で支えられ、質素ながら平和な、妻とのロンドン生活でした。妻が妊娠し、生まれてくる子どものために中古でしたが念願の一眼レフを購入しました。フラッシュ無しで撮影するため、感度の良いフィルム(当時はISO400ぐらいしかありませんでした)を使い、絞りを開放にして分娩室で息子の白黒写真を何枚も撮り、近所の暗室を借りて現像、プリントすることがとても楽しい時間でした。
中古ですが、連写用のモーターやズームレンズも購入し、息子中心の撮影から少しずつ他のものも撮るようになりました。

帰国前に一度ウィンブルドンというテニスの大会を見てみようと思い、当日券で入場するつもりで出かけました。テニスのルールも知りませんでした。通学用に6年間使ったボロボロの70㏄のホンダのカブに30分ほど乗り、長蛇の列に並んだことを覚えています。入場後は、これも通学用の破れた黄色い雨合羽を着たまま、三脚2つ、カメラ3機のほかに望遠レンズ、白黒フィルム、カラーフィルム、カラースライドが入ったバッグをさげ、あちこちウロチョロするばかりでした。
人混みの隙間から、わずかに見える選手を撮影しているときに、場内の警備員の一人から声をかけられました。
「どこから来たの?」
ロンドン在住でしたが、日本人なので「日本です」と答えました。
「世界中、こんな感じでテニスプレイヤーを追っているの?」
「はい、まあそんな感じです」
「向こう側で撮ったほうがいい写真が撮れるよ。行ってごらん」
彼は、私がメディアのバッジをつけていないのを承知で教えてくれました。そこには第2コートの入口があり、予約チケットがないと入れません。あきらめかけていると別の警備員が私を見つけ、中に手招きしてくれました。彼も私がメディア関係者ではないのを承知で中に入れてくれて、「あそこでいい写真が撮れると思うよ」と、その場所を指し示してくれました。
第2コートでは、ジョン・マッケンローが試合の前のウォーミングアップをしているところでした。教えられたスポットは、マッケンローが休憩の時に座る椅子の真後ろです。第2コートは小さいので選手の休憩椅子と観客席はかなり近く、私とマッケンローの間に障害物はありません。もちろん、マッケンローを目指してきたわけではありませんが、以前、ロンドンのウェンブレーの会場で彼の決勝戦を見たことがあったのですぐに誰かわかりました。

初めてテニスのゲームを見たのが、ウェンブレーの大きなスタジアムでした。アルバイトで家庭教師をしていた家庭からテニスの決勝戦のチケットをもらい、見に行くことになりました。テニスのことはまったくわからなかったので、ただただ長いゲームに正直うんざりし、しびれを切らして試合途中で帰ってしまったほどでした。あとで知ったのですが、なかなか手に入らないチケットのようでした。そのとき、決勝戦で熱戦を繰り広げていたのが、ジョン・マッケンローという気の短い変わった選手でした。
ウィンブルドンでの幸運は、素晴らしい偶然との重なりでした。
破れた雨合羽を着て、たくさん機材をぶら下げていたから、気の毒に思ってくれたのかもしれません。マッケンローを撮るとき、最初は興奮して手が震えていました。必死でフィルムを何度も入れ替えて400枚ぐらい撮りました。本当に幸運な一日でした。
この幸運がきっかけではありませんが、六十の手習いで始めたテニスを週2回楽しんでいます。